広島県庄原市小用町には、龍福寺という歴史的な寺院があります。この寺院は、建永元年(1206)に大内満盛によって創建され、臨済宗の寺院として知られています。もともと宝珠山瑞雲寺と称し白石の地にありましたが、延元元年(1336)に大内弘直が再建し、弘直の菩提寺となりました。
その後、享徳3年(1454)に大内教弘が曹洞宗に改め、寺号も瑞雲山龍福寺と改められました。大内義隆のとき、後奈良天皇に奏請して勅願寺として寺を再建しましたが、大内氏滅亡のとき兵火にかかり焼失しました。毛利氏の防長平定の後、弘治3年(1557)に毛利隆元が後奈良天皇の綸旨を賜り、大内氏の館跡である現在の地に龍福寺を再建、大内義隆の菩提寺としました。
現在の本堂は、元大内氏の氏寺であった氷上山興隆寺の釈迦堂を移築したもので、室町時代後期の様式が見られます。寺の敷地内には龍福寺資料館があり、大内氏最後の当主である大内義隆7回忌の弘治3年(1557)に、毛利隆元が描かせた大内義隆画像をはじめとする大内家歴代画像等の貴重な資料を展示しています。秋には、門から境内までの参道の両端に色づいたもみじがつらなり、紅色のトンネルが訪れる人を迎えてくれます。