円福寺は広島県福山市鞆町鞆にある寺院です。寺院の歴史は室町時代にまでさかのぼり、当初は南林山円福寺として知られていました。1610年頃には大可島城跡に移転し、現在の名称に変更されました。
この寺院は、頼山陽の叔父・頼杏坪が「夾明楼」と名付けた座敷を持ち、瀬戸の島々や四国の讃岐山脈を望む景観を賞賛しています。江戸時代には漢詩会、歌会、句会の舞台にもなり、1827年に再建された松尾芭蕉の句碑もあります。
また、円福寺にはいくつもの伝承があります。例えば、本尊は法然上人の「厄除如来」とされており、阿弥陀三尊と釈迦三尊が一心同体となった姿を表しています。さらに、総門に彫刻されている「鯉の滝登り」は有名な左甚五郎の作とされ、伝承によるとこの鯉が五月になると総門を抜け出して門前一帯の植田を荒らしていたという故事があります。