広島県福山市引野町北にある醫王寺は、歴史的に重要な寺院です。この寺院は、佐藤一族ゆかりのツバキが境内にあり、継信、忠信を失った母「乙和御前」の悲しみがのり移り、花が開かないで蕾のままで散ってしまうという伝説があります。
また、醫王寺は奥州藤原氏の一門であり飯坂をおさめていた佐藤氏の菩提寺でもあります。源平合戦において、佐藤基治(大鳥城主)は、藤原秀衡の命を受け、息子の二人、継信、忠信兄弟を源義経に付き従わせました。継信、忠信兄弟は義経の身代わりとなり壮絶な最後を遂げたと言われています。
この寺院には、松尾芭蕉が「奥の細道」の途中で訪れた際に詠んだ「笈も太刀も五月に飾れ紙のぼり」という句が残っており、現在も宝物殿に安置されています。これらの歴史的な背景と伝説が、醫王寺の魅力を高めています。
広島県福山市引野町北5丁目