広島県広島市中区中島町にある平和記念公園内には、原爆の子の像という名の慰霊碑があります。この像は、原爆で亡くなった子どもたちの霊を慰め、平和を築くための運動が始まりました。運動のきっかけとなったのは、被爆から10年後に白血病で亡くなった少女、佐々木禎子さんの話です。禎子さんは、2歳のときに被爆し、9年後の小学校6年生の秋に病のきざしが現れ、翌年2月に白血病と診断され広島赤十字病院に入院しました。入院中、回復を願って包み紙などで鶴を折り続けましたが、8か月の闘病生活の後、亡くなりました。
この像は、全国からの募金で完成し、平和記念公園内に設置されました。像の高さは9メートルで、その頂上には折り鶴を捧げ持つ少女のブロンズ像が立ち、平和な未来への夢を託しています。側面左右の二体は少年と少女と明るい希望を象徴しています。像の下に置かれた石碑には、「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」という碑文が刻まれています。
現在、この像には日本国内をはじめ世界各国から折り鶴が捧げられており、その数は年間約1千万羽、重さにして約10トンにものぼります。像の周辺には、折り鶴を捧げていただけるよう折り鶴ブースが設置されています。この像は、平和のシンボルとして広く知られており、広島平和記念公園の重要な観光スポットの一つです。
広島県広島市中区中島町平和記念公園内